泣き虫

どうしようもないほどの感情を抱えるた時。どうにかしてその感情を外に出そうとする。笑う時もあれば涙を流す時もあるし、怒りになることもある。しかし、この感情をどう面に出すかを自分で決めてコントロールすることは難しい。例えば、付き合っている相手の浮気が発覚した時場合。内から込み上げる感情をどう捉えるのか。「ふざけんな!」と相手の裏切りに対しての怒りとするか、浮気されたことに対してただ単純に悲しむだけなのか、はたまた滅多に起こらない偶然、それも恋愛の一つの行き着く先として開き直り笑って過ごすのか。内にある感情を発散できればなんでもいい気もするが、それをどう形にして外に出すのかで原因となった事象への捉え方が大きく変わってしまう。なんでも笑って流せればいいのだけれど、やっぱりどうしても怒りとして相手を責めてしまう機会の方が多い。しかしなぜそこまで怒ってしまうのか。きっと自分を正当化することで落ち着きたいのではないだろうか。怒られる人は怒っている人よりもその時点での立場が下になる。逆にいえば、相手を怒ることで一時的だとしても相手より立場が上になる。きっとそこに何かしらの安心感があるのだ。起こられる側も追い込まれれば、そこからくる不安を解消しようと立場の逆転を試み反抗する。そういった流れで論点がずれ的外れの論争になるのだろう。

自分の感情を解消することに相手を利用しようとすれば状況は悪化する一方になる。無駄な感情を抱えたくないのは誰しもが同じなのだから。とすれば、感情を涙として流すことで解消できるのならそれは素敵なことではないのか。「そんなことでいちいち泣かないの。情けない。」そう言われながら育ってきた人も少なくないだろうが、他人からすればそんなことだとしても自分にとっては重要なことだったりすることもある。

それなら泣いてもいいんだよ。しょうがないじゃん、勝手に流れてくる涙は止められないんだし。泣くことが弱いことだとしても、自分の弱さに目を背け怒りを他人にぶつけ自分を正当化しようと捻くれるくらいなら、自分の弱さを認めて思いっきり泣く方がマシだ。それがどんなに些細なことでも、それが自分なんだから認める以外にないじゃないか。嫌なら強くなるしかない。

涙の数だけ強くなれるよ。なんて言葉を聞いたことあるが、あながち間違いではなさそうだ。涙を流すことで気持ちを切り替え明日を迎えることができたなら、それを続けた先で同じ涙を流すことは絶対に減っていく。一万回泣かされたのなら、一万通りのストレスで同じ涙を流すことは無くなるだろう。鍛えられた心の器はどんなストレスも受け入れられるようになり、いずれそれが他人に怒りをぶつけるこのない優しさというほんとの強さになるんだろう。

そうとわかれば、今日から胸を張って泣き虫を曝け出そう。ほんとの強さが欲しいから、優しい人間でいたいから。泣き続けることは確かに恥になる。だから、泣いてしまうことの恥を成長の糧として目を逸らしちゃいけないんだ。


涙の行方と、本当の強さについて

 駅前のカフェの喧騒が、耳の奥でくぐもって聞こえる。  アイスコーヒーのグラスから滴り落ちる水滴が、コースターに暗い輪染みを作っていた。僕はそれを人差し指でなぞりながら、入り口のドアが開く音にいちいち反応してしまう自分を嘲笑う。  約束の時間はもう過ぎている。かつては五分前には必ず待ち合わせ場所にいた彼女が、遅れるようになったのはいつからだっただろうか。

 二年間という月日は、大学生の僕らにとっては永遠にも等しい長さだったはずだ。  けれど、終わりはあまりにもあっけなく、そして残酷なほどありふれた形で訪れた。

「その日は予定があるの」  最近、彼女の口からその言葉を聞くたびに、僕は胸の奥に鉛を飲み込んだような重さを感じていた。友人づてに聞いた話。バイト先の年上の先輩。彼女が楽しそうに話す「尊敬できる人」の名前。  僕は彼女を信じたかった。だから、問い詰めることなんてしなかった。疑うこと自体が、二人の時間を汚すような気がしていたからだ。  しかし、現実は僕のささやかな信仰心を嘲笑うように、決定的な光景を突きつけてきた。

 三日前のことだ。  夕暮れの駅前広場。人波の中で、彼女は僕に見せたことのないような甘えた表情で、背の高い大人びた男と手を繋いでいた。  その瞬間、僕の中で何かがプツンと切れた。  怒りでも、悲しみでもない。ただ、張り詰めていたピアノ線が断ち切られたような、乾いた音が心の中で響いたのだ。

 そうして僕は今日、彼女をここに呼び出した。別れを告げるために。

 まだ彼女は来ない。  空白の時間は、僕に嫌でも思考を強いる。  今、僕の腹の底には、どうしようもないほどの感情がマグマのように渦巻いている。これをどう処理すればいいのか。どうにかしてこの感情を外に出さなければ、僕は内側から焼き尽くされてしまうだろう。

 人は感情を吐き出すとき、様々な形をとる。  笑うこともある。涙を流すこともある。そして、怒り狂うこともある。  ただ厄介なのは、この湧き上がるエネルギーをどういう「顔」で表に出すかを、僕らはとっさに選ばなければならないということだ。

 例えば今、この状況だ。  付き合っていた相手の裏切りが発覚した。  最も安易で、最も選ばれやすい選択肢は「怒り」だろう。 「ふざけんな!」  そう叫んで、テーブルを叩き、相手の非道を糾弾することで裏切られたことへの怒りを爆発させる。  あるいは、ただ単純に悲劇の主人公として涙に暮れるのか。  それとも、こんなことは恋愛の行き着く先としてよくあることだと、冷笑的に開き直って笑って過ごすのか。

 内にある感情が発散できれば、手段なんてなんでもいいような気もする。けれど、それをどう形にして外に出すかで、この「別れ」という事象への捉え方は大きく変わってしまうし、その後の僕自身の生き方すら変えてしまう気がするのだ。

 なんでも笑って流せれば、それが一番スマートなのかもしれない。  けれど、多くの人は、そして今の僕なら間違いなく、どうしても「怒り」として相手を責めることを選んでいただろう。  なぜ、人はそこまで怒るのか。

 ふと、冷たいコーヒーを一口飲み下しながら考える。  怒りとは、きっと「自己防衛」なのだ。  自分を正当化することで、傷ついた心を落ち着かせたいのではないだろうか。  怒る人と、怒られる人。その構図において、怒る人は怒られる人よりも、その時点での立場が「上」になる。  逆に言えば、相手を怒鳴りつけ、責め立てることで、一時的だとしても相手より優位に立てる。自分が「正義」で、相手が「悪」だと規定できる。  きっとそこに、何かしらの卑小な安心感があるのだ。自分の価値が損なわれていないと確認するための、哀れなマウンティング。

 だが、それは泥沼への入り口だ。  怒られる側だって、追い込まれれば防衛本能が働く。そこからくる不安を解消しようと、今度は立場の逆転を試みて反抗する。「あなただってあの時」「私の気持ちも知らないで」と。  そういった流れで、論点はどんどんずれ、泥仕合のような的外れな論争になる。

 僕は、テーブルの下で拳を握りしめた。  想像するだけで、反吐が出る。  自分の感情を解消するために、相手を利用する。それは結局、状況を悪化させるだけだ。  怒りをぶつけたところで、彼女の心が戻ってくるわけじゃない。過去が消えるわけでもない。  相手に怒りをぶつけても、それは自分の感情の自己処理に、相手をサンドバッグとして利用するだけのことだ。  怒ったところで何も解決しないし、自分が惨めになるだけだ。そして何より、傷つくことから逃げればそこに「成長」はない

 無駄な感情を抱えたくないのは、誰しもが同じだ。  だとすれば。  このやり場のないマグマを、「涙」として流すことで解消できるのなら、それは素敵なことではないのか。

「男のくせに、そんなことでいちいち泣かないの。情けない」  幼い頃、そう言われて育った記憶がある。大人になっても、社会に出ても、涙は「弱さ」の象徴として扱われることが多い。  けれど、他人からすれば「そんなこと」でも、自分にとっては世界が崩れるほど重要なことだってある。

 それなら、泣いてもいいんじゃないか。  しょうがないじゃないか、勝手に流れてくる涙は止められないんだし。  泣くことが弱いことだと、誰かが笑うかもしれない。  それでも、自分の弱さに目を背けて、怒りを他人にぶつけ、自分を正当化しようと捻くれるくらいなら、自分の弱さを認めて思いっきり泣く方が、何倍もマシだ。  それがどんなに些細なことでも、失恋ごときありふれた話でも、それが今の自分なんだから。認める以外にないじゃないか。

 嫌なら、強くなるしかない。  怒りで武装する偽りの強さではなく、痛みを受け止める本当の強さを。

「涙の数だけ強くなれるよ」  どこかの歌詞で聞いたような言葉。ありふれたクリシェだと思っていた。  だが、あながち間違いではなさそうだ。  涙を流すということは、感情をリセットするということだ。涙を流すことで気持ちを切り替え、明日を迎えることができたなら、それを続けた先で、同じことで涙を流すことは絶対に減っていく。

 一万回泣かされたのなら、一万通りのストレスへの耐性がつく。  一万回、自分の弱さと向き合ったことになる。  そうして鍛えられた「心の器」は、どんなストレスも、悲しみも、受け入れられるようになるはずだ。  許容すること。受け流すこと。  いずれそれが、他人に怒りをぶつけることのない、純度の高い「優しさ」という、ほんとの強さになるんだろう。

 怒鳴り散らす人間よりも、静かに泣ける人間の方が、きっと最後は強い。  そうとわかれば、今日から胸を張って泣き虫を曝け出そう。  僕は、ほんとの強さが欲しいから。  誰かを傷つけることで自分を守る人間ではなく、優しい人間でいたいから。  泣き続けることは、確かに今の社会では「恥」になるかもしれない。  だからこそ、泣いてしまうことの恥を、成長の糧として目を逸らしちゃいけないんだ。

 カラン、とドアベルが鳴った。  反射的に顔を上げると、そこには彼女が立っていた。  少し気まずそうな、けれどどこか決意を秘めたような顔。二年間、僕が愛した顔だ。

 彼女が僕の向かいの席に座る。 「ごめん、待った?」 「ううん、今来たところ」  嘘をついた。  彼女の目を見る。その瞳の奥に、かつての僕への熱がないことを、僕は冷静に悟ってしまった。

 胸の奥が、焼け付くように痛い。  叫び出したい衝動が喉元までせり上がる。「なんでだ」と、「裏切り者」と、罵詈雑言を浴びせてやりたい醜い獣が、僕の中で暴れている。  そうすれば楽になれる。そうすれば、僕は被害者になれる。

 でも。  僕はテーブルの下で、膝の上に乗せた自分の拳を強く握りしめた。  爪が掌に食い込むほど強く。  拳は、小刻みに震えていた。  これは怒りじゃない。自分の弱さを、悲しみを、必死に受け止めようとしている振動だ。この震えは、僕が僕の足で立つための儀式だ。

 相手に怒りをぶつけても、何も生まれない。  僕は、惨めな自分を救うために彼女を利用しない。  この痛みは、僕だけのものだ。この涙の種は、僕が一人で持ち帰って、夜通し泣いて、明日の糧にするんだ。

 僕は深呼吸を一つして、顔を上げた。  震える拳とは裏腹に、口元を緩める。  引きつっているかもしれない。泣き出しそうな顔に見えるかもしれない。  それでも僕は、精一杯の笑顔を作った。

「話ってのはさ」

 彼女が身構えるのがわかった。責められると思っているのだろう。  僕は、穏やかな声で、彼女の目を見て言った。

「今までありがとう。……さよなら」

 彼女が驚いたように目を見開く。  その顔を見て、僕は確信した。  僕は今、少しだけ強くなれたはずだ。

 席を立ち、会計伝票を掴む。  店を出たら、思いっきり泣こう。誰に笑われようと、ボロボロになるまで泣こう。  そして明日、腫らした目で、新しい世界を見るんだ。  僕は背筋を伸ばし、振り返ることなく店を出た。