不登校児

私は不登校児だった。それは小学校5年生の時から始まり、高校三年生まで続いた。最低限の出席日数と学校の先生の情けもあってかろうじて卒業はでき今に至る。

別にいじめられていたわけではなかった。仲良くしてくれる子も何人かはいたし、部活動にもぼちぼち参加していた。それなら、なんで学校に行かないの。周りの大人にもよく言われた。ただ単にめんどくさくてサボりたかったっていうのももちろんあったけど、それとは別に行きたくない理由はあった。だけどその理由てのはとても漠然としたもので、学校にいると妙に落ち着かない。なんとも言えない不安を感じるのだ。それを他人に理解してもらえるように説明するなんてことは当時の自分にはとてもできなかった。だけど学校という組織から離れた今ならなんとなく話せる。何がそんなに嫌だったのか、不安の正体とはなんだったのか。

それそれの学年はクラスというものを一つの単位として構成される。そのクラスを仕切るのが担任の先生だ。子供達は春休み明けにそれぞれのクラスにランダムに振り分けられる。これは俗にいうクラス発表といわれる行事で最初こそ楽しい。仲のいい友達はいるのか、気になるあの子とは同じクラスになれたのだろうか。しかし、このワクワクも結果を見てしまえばすぐに払拭される。新しいクラスの環境でどんな学校生活を送ろうかと、4月いっぱい期待で胸を躍らせている子もいるだろう。が、私の場合そんなものは一切なかった。私の胸は期待どころか不安が広がり始めていた。一年間、このクラスに所属しなければいけないのだと。

学校というのはよくよく考えてみれば恐ろしいものなのではないかと思う。


洗脳教室

まず、クラスというのは担任の先生が仕切っている。当たり前だが担任の先生は一人だ。これって何気に恐ろしいことなんじゃないかと思う。クラスという区切られた単位の中で大人が一人。そいつが一番の権力を持っている。もし、この唯一の大人が権利濫用をすればどうだろうか。きっと反抗する生徒はそういないだろう。(まあ子供が大人に反抗したところで敵うはずもないとわかっている子供もいるのだろうけど。)先生の言うことをちゃんと聞きなさい。どこの大人もこんなことを言うもんだから、先生の言うことは全て正しいとまで思ってる子供もいる。クラスのいい子ほど先生の言葉を疑わない。「先生がこう言ってたじゃん。」伝家の宝刀のごとくこの言葉を使う。(そうして権力者の発言は無条件に正しいと言うような受動的な理解しかできない奴が生まれていくのだろう。)やがて先生の強い信者であるクラスのいい子ちゃんは学級委員長として権利を与えられる。そして、クラスは権利者によってボスである担任の先生の思想に染められるのだ。「⚪︎年⚪︎組 一同」と言う表札を掲げながら。

恐ろしいことはもう一つある。それは、そのボスの染め上げたクラスからは逃げられないと言うこと。

当たり前に、一度自分のクラスが決まってしまうと自分が所属するクラスを変えることもできないし、担任の先生を変えてもらうこともできない。

もしクラスの思想に疑問を抱いてしまった場合、取れる選択肢として考えられるのは3つ。

  • 諦めて自分も染まるか
  • 染まってたまるかと反抗するか
  • 関わりたくないと逃げるのか

学校生活でクラスに馴染めたことはほとんどなかった。吐き気がするほどの空気感に馴染むことなんてとてもできなかった私は家に閉じこもった。

子供というのは実に生きづらいと思う。仕事ができなければお金を稼ぐこともできないし人と接する機会もなくなる。お金がなければ住む場所も変えられないし、何かを始めるきっかけも作りづらい。そもそも、年齢の制限もある。大人であれば合わない仕事はやめられるし、仕事を選ぶ自由もある。働いて稼いだお金で引越しもできるし、好きな趣味に使うこともできる。

自由には責任か伴う。それは責任さえ持てば自由は得られるということ。しかし、責任を負えない子供は自由を得られない。それは逃げ場さもなくして家から出られなくなるほどに。それはとても辛いことだけど、自分らしさを守るための価値あることだと思うから。今は頑張れなくても、いつか大人を迎えるその日に備えろ。なんでもいいから色んなものに興味を向けろ。それは学校から目を背けたものの特権だから。

小、中、高と不登校だった私。クラスという集団行動をはみ出した結果、今でも一匹狼の如くフラフラしてるよ。お金に余裕もないし、収入の安定もないけれど自由に生きられている実感は誰よりもあるよ。染まることに反抗し続けてくれたおかげで自分らしさも認識できてるよ。

ありがとう。