最初に聞いた時はなんのこっちゃさっぱりだった。要は好きなアーティストやグループを応援するといったことで、それ自体は何も最近になってはじまったことじゃない。ただ令和というのはやたら既存のものに新しい名前をつけたがる。それだけに言葉の意味を理解できていない時点では、どうせ学生を中心としたティーンエイジャーの間の流行りなんだろうと思っていたが、これならオレだって(きっと誰でも)してるじゃないか。
対象に対する応援の仕方も十人十色。グループの知名度がもっと上がるようにとか、ファンとしての自分をもっと認知してほしいだとか。自分の場合は、その人が掲げるその人であり続けてほしいと願っている。要はその人としてかっこよくあり続けてほしいのだ。
私は”あなた”に憧れた。それは「自分との約束を果ためならどんな苦痛も厭わないストイックなその姿に」、「当たり前というのは誰かの大切の上に成り立っているからと本当に大切なことに気づかせてくれた姿に」。ステージ上での姿はもちろん、でもそれはステージ上だけの仕事としての姿ではなく”あなた”個人としての姿だと思ってるから。もし声が出せなくなって歌えなくなっても、歌詞が書けなくて曲を作れなくなったとしても、あなたの掲げる”あなた”である以上私は”あなた”の背中を追いかけ続けます。
いつか自分のやりたいことが形になってそれを仕事としてご飯を食べていけるようになった時。その時にはぜひライブに足を運んで「あなたのおかげでここまで来れました、ありがとう」と叫んでみたいのだ。そんなことを考えながら今日も夢に向かって、自分にかっこつけられるようにもがき続ける。自分として通す筋を見出せるその日まで。憧れたあの人のようになりたく、少し烏滸がましくも泥臭いそれが私の推し活。