時は金なり。時間はお金と同じくらいの価値があるよ、という意味なのだがそれは本当なのか。時間とお金の価値は本当に同じなのか。
鼓動の回数にはかぎりかあるから無駄遣いは極力避けたいし、有意義なことに使いたい。いろんなところへ旅に行ったり、美味しいものを食べたり、お気に入りの服を買ったり。時間を充実させようと思うとそれなりのお金が必要になってくる。生きるために必要なお金はもちろんのこと。お金はあればあるだけ使うことへの選択肢が増えるからいっぱいほしい。そのために時間を犠牲にお金を稼ぐ。
お金を手に入れようと思うと時間を犠牲にしなければいけない。逆に自由な時間を手に入れようと思うと、仕事をしていないからお金は手に入らない。人生、極端な言い方をすれば働いて時間を過ごすか働いていない時間を過ごしているかのどちらかだ。さてこれからの人生どちらに重点を置こうか。
例えば1時間1,000円の仕事をしている人がいたとして、1,000時間働けば100万円稼ぐことができるわけだが。100万円と1,000時間の価値は同じなのだろうか。私は同じではないと思う。時間の使い方によってはなんの価値もない時間になる可能性もあるが、有効に使うことを前提とするならば時間はお金以上に価値があると思う。そもそも、お金は時間によって生み出されるわけだから時間にお金以上の価値があるのは当たり前だ。時間を仕事に使ったことの結果としてお金が発生するわけだから。100万円でできることは、1,000時間あれば絶対にできる。
逆にお金から時間を生み出すことは不可能だ(多少の時間の節約はできるだろうが)。だから、時間をかけないと得られないものはいくら積もうが手に入れられない。教材を買うだけじゃ知識はつかない。ジムを契約するだけじゃ筋肉はつかない。もっといえば、自分の人格なんてのはどれだけ自分と向き合ってきたかで決まると思っているから、どんだけお金を持っていても「この人みたいにはなりたくない」って思う人もいる。
要は自分が一番に求めるものが何かだ。それが自分自身の外にあるのなら。つまり物や環境として、それをどれだけ手に入れるかにあるなら。時間をいかに効率よく金銭的価値に変えられるかが大切になるだろうから。タイムイズマネーの関係になるのだろう。
だけどもし、求めるものが自分の中にあるのなら。他人や環境に左右されないところにあるのなら、そこにお金はかからない。必要なのは自分に向き合うための時間と孤独に耐えようとする忍耐。そこで得られるものに金銭的な価値をつけるならば、それは時に無価値にもなるだろうし、唯一の価値を発揮するかもしれない。ただ、それは他人目線の話だ。誰にも認められなくても、それが自分の欲しかったものなのなら、その人に貧乏はないのだろう。その場合こそ、お金の価値が時間の価値に釣り合わない時だ。