金額と幸せはどこまで比例するのか。
100円で得られる幸せと200円で得られる幸せ、金額的には2倍の差があるが幸せも2倍あるだろう(もちろんそんな単純な話ではないのは承知の上、これは私の感覚的な基準に基づくものとする)。1,000円で得られる幸せは100円の10倍、10,000円で得られる幸せは100円の100倍。とすれば、一億円をもつお金持ちはどれほど幸せなのだろうか。不幸など感じることない人生なのだろうか。
確かに持てるお金の金額が大きくなればなるほどその使い道は増えるわけだから、得られる幸せの数も増えてくる。駄菓子から外食、洋服、ゲーム、旅行、車、家などなど、細かくあげればキリがないほどお金で買えるものできることはたくさんある。もし、その全てを得られるとなれば、それだけのお金持ちになれば私という人間は満足するのだろうか。きっと、それはできない気がする。限界があるから。1日に使える時間は24時間だし、お腹いっぱいになればそれ以上何も食べられないし、指輪だって指の数だけしかつけられない。だけど、欲には限界がない。人は必ず飽きるから。どんなに豪華な家も車も宝石も、どんなに美味しい食事でも、使い続ければ食べ続ければ必ず飽きる。そうなればさらなる刺激を求め、行き着く先はきっとドラッグなんかになるのだろう。例え死ぬことになろうとも快楽の欲が優先されてしまうのだろう。
確かに生きるためにお金は必要で、お金で買える幸せもある。だけどお金で買える幸せばかりに焦点を当てすぎると不幸になる。それはキリがないゆえに満たされないから。100万円の宝石に、大切な人たちと食べる1万円の食事の100倍の幸せがあると言われてもやっぱり信じられない。
ほんとの幸せは意外とそんなにお金のかかるものでもないんじゃないかな。誰とどんな時間を過ごすか。生きるに不自由がないように、それを賄えるくらいのお金があれば十分なんだよ。
とはいえ来月へと命を繋ぐべくなんとか節約を気にする私だが、預金を気にせず欲望の赴くままに焼肉屋さんの暖簾を堂々とくぐってみたいなんて思うのも事実である。